ここへ行ってきました 

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2019.3.31

 群馬県のバス会社が企画するツアーで、石川県の山代温泉に行くことになった。藤岡ICから北進し、上越JCTで北陸道へ乗り継ぎ西進する。天候は雨が降ったりやんだり、ときには霰や雹が落ちることもある。青空は全く見えない。

 富山ICを降りて最初の見学地は、富山市の「ますのすし本舗褐ケ」の工場である。取りあえずは早速食事を済ませ、その後”ますのすしミュージアム”を見学することになった。
 昼食は700席もあり、富山の山海の幸が中心の会席御膳である。


工場の外観

 工場の外も内部も清潔で、チリ一つない。”ますのすしミュージアム”を2階の回廊からガラス越しに見学するしくみである。


2階の回廊

ガラス越しに見学

 1階はショッピング広場になっている。


ショッピング広場

買い物に余念が無い

<公式サイト>ますのすし本舗褐ケ

 次の見学地は兼六園。有名な徽軫灯籠(ことじとうろう)に最も近い桜ケ岡駐車場から入場する。石段を登ると寄観亭というギフトショップがあり、おかみさんらしき女性がガイドをしてくれる。小雨が降っており、たまに霙になったりもするが、要領よく解説し、周回してギフトショップに戻るという手際よさである。

 有名な徽軫灯籠が目の前に見える。そして唐崎松は園内随一の枝振りを誇る。


徽軫灯籠

唐崎松

 明治紀念之標(めいじきねんのひょう) 通称日本武尊像(やまとたけるのみこと)またの名を金仏(かねぶつ)様と、ややこしい。もっと簡単な名称にできないものものなのだろうか。
 根上りの松は名前のように、根っこが地上2m程の高さに競りあがっている。その数40本以上。しかしこれは人工的になされたもので、13代藩主の前田斉泰(なりやす)が土を盛り上げて若松を植え、成長後に土を除いて根を露わにしたものだという。


明治紀念之標

根上りの松

 栄螺山(さざえやま)説明板にはこう書かれている『霞ヶ池を掘り広げたときの土で盛り上げたもの。登り路が螺旋に作ってあり、その形がさざえに似ているので、栄螺山と名付けられた。山頂に、からかさ型の避雨亭があるので、別名「からかさ山」ともいう。』
 内橋亭は栄螺山の鬱蒼とした樹木を背景に、石脚で支えられて、水面に浮かんでいるように見える。


栄螺山

内橋亭

 再び北陸自動車道に乗って片山津ICで降りる。一般国道364号を南下し、片山津温泉・加賀温泉とやり過ごして加賀市山代温泉に到着。今夜の宿 「ゆのくに天祥」に着く。ホテルの部屋から見た景色はこんな感じ。意外に温泉街らしく見えないのは、ホテルの場所が温泉街の東端に位置しているせいかも知れない。

 自家源泉で三つの大浴場がある。夕食宴会ではツアー主催者の大抽選会があって、妻はうどんの袋が当たった。中にはシャープのテレビが当たった女性がいた。


外の景色

大部屋での朝食

 朝食を終えてバスに乗り、小雨の中を出発。

 次の立ち寄り地は加賀市加茂町にある「御菓子城加賀藩」、ホテルから10分程の距離である。加賀百万石の伝統文化を受け継ぐ菓子の老舗で、単一企業としては日本一となる広大な売り場に数々の伝統菓子を陳列している。試食もでき、気に入った菓子を選べることができる。
 その2階には「日本折紙博物館」がある。


御菓子城加賀藩

日本折紙博物館

 次の見学地は「ゆのくにの森」である。小松市粟津温泉にあり、加賀伝統工芸村である。谷間を利用して11の館で50種類以上の伝統工芸の体験ができる。


体験風景

色とりどりのビニール傘

 どの店も賑わっているが、現在「ギャラリー祥」では相田みつを展も開催中である。


店内の賑わい

相田みつを展

 次の見学地は富山県氷見市の「ひみ番屋街」である。ところで、今日は新元号を発表する日である。ツアーバスは車内のテレビを下ろして待機に入った。トンネルに入ったり、森林地帯を走行しているときに電波が途切れ、画像が乱れたりした。11:43分に漸く画面は復旧し、菅官房長官が新元号は万葉集から引用した「令和」であると発表した。


車内テレビ

 思わず車内には拍手が響き、そのあと静寂のうちに聞き逃すまいと画面に見入ったのである。

 やがてツアーバスは、北陸自動車道の砺波JCTから分岐して、能越自動車道に入った。程なくして沿道に『万葉の里高岡』という看板が建っているのに気がついた。一箇所だけでなく、しばらく走るとまた建っているという具合である。まるで新元号の名称を予言したような偶然ではないか。ここは正に高岡市の市中である。テレビの画面は安倍総理の談話に移っている。

 帰宅して調べてみると、かなりの事実が判明した。奈良時代に大伴家持(おおとものやかもち)という人物がいた。家持は天平18年8月、29歳のときに越中守として高岡に着任した。5年の在任期間中、数々の歌を詠んでいる。万葉集の歌は他の歌人に比べて圧倒的に多い。

 新元号「令和」の出典となった歌は、大宰府長官だった家持の父大伴旅人が、自邸で開催した『梅花の宴』に拠る。そこで詠まれた和歌の序文『初春令月 気淑風和』が出典だという。

 大伴家持にゆかりのある高岡市は、以前から”万葉の里”を標榜していたのである。

<公式サイト>高岡市万葉歴史館

 そんな訳で、ツアーバスは新元号の余韻を消して氷見市に到着した。「ひみ番屋街」は氷見漁港場外市場である。お食事処であり、鮮魚・干物を来客に土産物として売ったり、全国発送をしている。僕達は、フロアガイド12番の「北の番屋」で新鮮な回転寿司を食べた。そのあと海岸の展望台に昇って、広大な富山湾の景観を楽しんで旅を終えたのである。


展望台からひみ番屋街

展望台

 これで旅行の全てをこなし、帰りの車中はジャンケン勝負で商品を貰ったりした。外は雨から雪に変り、冬景色になった。うとうとして眠りに落ち、藤岡ICを降りたのは19時ごろ、帰宅は19:40ごろであった。

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