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 ここへ行ってきました 

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2020.6.28-29 嬬恋鹿沢

 今回の旅行は、新型コロナウイルスによる宿泊事業者の困窮を救う対策とした補助制度を利用したものである。吾が群馬県も一人5,000円支給されるので夫婦で、10,000円は大きい。出来るだけ遠くの宿泊地は、休暇村 嬬恋鹿沢である。経過地には、景勝の地もある。

 一週間ほど前に予約して28日の日曜日に出発。朝のうちは降雨で現地の天気予報も雨であった。ルートは前橋市の自宅から17号バイパス(上武道路)で渋川市へ、市街地を通過して吾妻川の右岸まで走る。そこから6月7日に開通したばかりの高規格道路に僕達は初めて乗り入れた。この道路は僅かに7.2kmの長さであるが、やがては八ツ場ダム(ヤンバダム)の高規格道路に繋がる筈である。

 その八ツ場ダムに着いた。管理支所の正門には、いかめしい銘版が埋め込まれている。門は閉じられ一般の人は入れない。管理支所へのアプローチは人の気配がない。


国土交通省 八ツ場ダム管理支所

管理支所へのアプローチ

 左岸の見方台という展望台は閉鎖されているが、登り口から管理棟と、ダム天端(テンバ)の様子が伺える。
 背景は雨雲に煙って、今日の天候は不穏な雰囲気が漂っている。


左-管理棟                  右-天端

 道の駅八ツ場ふるさと館でトイレ休憩を取り、先を急ぐ。長野原町から草津道との分岐を左にハンドルを切れば、もう嬬恋村である。

 吾妻川を左に見てしばらく走る。川は増水して流木があちこちにからまっている。土砂崩れの露頭が痛々しい。村役場を通り過ぎた辺りから雨は小止みになり、空も少し明るくなってきた。

 カーナビに設定した目的地を目指して車は順調に進む。厚かった雲がしだいに消えて、少し青空が顔を出してきた。

 ところが、大笹という地区まで行ったところ、目の前に立ちはだかったのは「この先通行止め」の看板。工事会社のプレハブ事務所があるが、無人である。少し離れた場所の裏庭に人影が見えたので、そこを訪ねて聞いてみた。そうしたら去年の19号台風で道路が橋ごとズタズタに破壊されたという。その上で、別の迂回路を分りやすく教えてくれた。流暢な話し方をする若者であったが、たぶん別の人からも聞かれることが多いのだろう。
 それにしても迂回路を示す看板を要所々に設置すべきではなかろうか。

 教えて貰ったルートは快適であった。見渡す限りのキャベツ畑である。ここは浅間山の北麓である。


浅間山北麓

 キャベツの収穫は機械を使っている。作業は朝早くに行なうのか、或いは雨上がりに行なうのか、動いているところを見たことがない。
 いずれにせよ、この道は”つまごいパノラマライン南ルート”と言うらしい。迂回路を教えてくれた若者のお蔭で、雄大な景色も見られて大いに感謝するばかりだ。

 迂回路から本来の県道94号に戻り、湯尻川に沿って鹿沢温泉を目指す。ここには紅葉館という一軒宿がある。

 建物は県道に背を向けて玄関は湯尻川に向いている。写真の中央1階の格子戸が入口である。極めて不思議な建物だ。


中央1階の格子戸が入口

 その野尻川は洪水に削られて痛々しい。


この日は川の水は少なかった

 紅葉館の脇には百番観音が建立されている。実は、江戸時代に信州側から上州側のこの地に多くの湯治客が訪れていたのである。なぜ多いのか?それは江戸時代に鹿沢温泉周辺一帯が、祢津領(旗本松平氏、現在の長野県東御市祢津)の領地だったのである。
 そんな訳で道中の安全祈願のために百体の観音像を建てて無事を祈ったのである。一番体の観音像は現在の東御市新張(ミハリ)の登り口に建立、如意輪観音の坐像で、明治2年(1869)に伊那の高遠石工 中山暉雲(キウン)によって刻まれた立派なものである。
 そして、ここの百番体は、千手観音の立像で、明治2年(1869)に一番体と同じ中山暉雲(キウン)によって刻まれている。


百番観音

嬬恋かるた 百番観音道しるべ

 紅葉館の道向かいに、もう一つの記念碑がある。 「雪山讃歌の碑」である。
 大正15年(1926)1月、京大山岳部の学生達がスキーに来ていた。雪降りで足止めされていたとき、退屈を紛らわせるため、「山岳部の歌を作ろう」と呼びかけたのが西堀榮三郎である。かねてから気に入っていた『いとしのクレメンタイン』というメロディーに皆で考え詩を当てはめた。それが雪山讃歌である。


雪山讃歌の碑

 その西堀榮三郎は後年、第1次南極越冬隊長として活躍した人物である。

 紅葉館から、湯ノ丸高原に車を走らせる。駐車場にはコロナのせいか、空いている。牧場の斜面を歩いて登る人が多いが、僕は自信がないので夏リフトを使った。ホルスタインの牛がそこかしこにたむろしている。


湯ノ丸牧場

 リフトから降りたところから緩い斜面を登って行くと、レンゲツツジの群落である。そこには看板が立っていた。牧場には関係なさそうだが次のようなものであった。


群馬県における高山蝶保護につて

”嬬恋かるた”の札
『守り育てる高山蝶』

 山の環境を守るのは、牛やレンゲツツジだけではなく、蝶も惹いては動植物全部ということになるのかもしれない。
 さらに進むと、ほぼ平坦な尾根に出た。つつじ平である。牛の行動範囲を制限する為に有刺鉄線が囲まれている。そして人間が通れるだけの凹凸の垣根が設けられている。何てことは無い、人間が牛様の居住域に入れさせて貰うという訳だ。
 こういう垣根を構えて人と動物を分離する施設はあちこちでよく見かける。例えば、赤城山の覚満渕には鹿の食害を防ぐために設けられている。
 とにかく僕達は垣根の中に入れさせて貰った。只一つ、気をつけないといけないことがある。。それは牛の糞である。遠慮会釈無く、したい放題である。牛さまの領地に勝手に入ったのだから文句は言えない。


つつじ平

 満開の時期はすでに終りを告げていた。


つつじ平

 それにしても、牧場でレンゲツツジが群落できるのは何故だろうか?これについても看板で解説していたが、要点だけを示すとこうである。
 『ロードジャポニンという有毒成分が葉に含まれるので、牛はそれを食べない』というのである。


つつじ平

 白い雲を背景に、なだらかな二つの稜線。左が湯ノ丸山(2,101m)、右手が角間山(2099.1m)である。
[各種の地図や資料によって、山名の漢字・ひらがな・カタカナ・高さに違いが見られる。ここでは地理院地図に従った。]


湯ノ丸山    角間山

 次に向かったのは、池の平(イケノタイラ)である。車で約80分程で駐車場に着く。そこから見晴歩道に入る。ルートで示すと、

駐車場⇒村界の丘(2,113m)⇒雷の丘(2,108m)⇒雲上の丘広場(2,110m)⇒ピグミーの丘⇒見晴岳(2,095m)⇒見晴コマクサ園⇒三方ヶ峰(2,040m)⇒三方コマクサ園⇒三方ヶ峰⇒見晴コマクサ園⇒雲上の丘広場⇒雷の丘⇒駐車場

という、ほぼ往復コースである。敢えて湿原コースは採らなかった。その間の写真は次のとおり。


見晴歩道・登山口付近

 続いて珍しい物を見た。活きているカラマツの大木が倒れ、その幹から枝が垂直に4本伸びている姿である。写真の右端が根っこ、太さは違うが写真の左端まで、逞しく活きている。登山者は大いに勇気付けられるのではないだろうか。


見晴歩道・登山口



レンゲツツジ

アヤメ

 村界の丘(2,113m)からの眺めは良い。丘といっても足元は断崖で墜落しそうな場所である。ここから湯ノ丸山(2,101m)が見える。こちらの方が湯ノ丸山(2,101m)より12m高いが、向こうは雲が垂れ込めてきた。


湯ノ丸山

 雷の丘(2,108m)から東篭ノ登山(ヒガシカゴノトヤマ-2,227.9m)が見える。


東篭ノ登山

 雲上の丘広場(2,110m)からピグミーの森辺りにかけて、池の平湿原が眼下に展開している。広大な湿原に敷かれた木道が見える。


池の平湿原

 雲上の丘広場(2,110m)からは360度、遮るものなく言葉どおり見廻すことができる。すぐ脇に山名方位盤があって目に見える山の名前を知ることが出来る。
 気がついたら、ガスがかかってきた。さてどうしようか。コマクサを是非見たいので先を急ぐことにした。


池の平湿原

 ピグミーの森を抜け、見晴台(2,095m)を右にやり過ごし、見晴コマクサ園も無視して一気に三方ヶ峰(2,040m)の三方コマクサ園に向かった。


三方コマクサ園

 ここから湿原に下りて単調な木道を歩くか、元きた道を引き返すか迷ったが、後者に決めた。もう写真撮影の必要がないだけ楽である。

 これで観光は終わった。後は今夜の宿”休暇村嬬恋鹿沢”へまっしぐらだ。出来るだけ雨が降らないうちにチェックインしたい。
 これには訳がある。昨日、湯尻川に沿う県道94号が、何箇所も崩壊していることを目撃しているからだ。片側交互通行の場所が多いので信号機が必要になる。幸いなことに、待ち時間短縮型でソーラーも組み込んでいるらしい。それほど待たされずに通行できるタイプだ。


湯尻川に沿う県道94号の崩壊箇所

 休暇村嬬恋沢に到着。丁度3時でチェックインの時間である。
 夕食まで余裕があるので、外を散歩する時間もとれて楽しかった。幸いなことに雨の心配もなく、ご覧のような青空である。

 北方の四阿山(2,354mアズマヤサン)も良く見える。

 この場所も片側交互通行をしている。信号機はで、待ち時間は59秒だ。その下にソーラー発電機もある。

 昨日教えて貰った迂回路の”つまごいパノラマライン南ルート”である。広大なキャベツ畑の向うに、浅間山(2,568m)連峰が見える。ここも青空だ。


         左が浅間山

 嬬恋郷土資料館と鎌原(カンバラ)観音堂である。


嬬恋郷土資料館

 普段は、近辺のお年寄りが観音堂に詰めて念仏を唱えているのだが、コロナの影響で閉鎖されていた。人気が全くない。


鎌原(カンバラ)観音堂

 今回の旅行は忙しなかったが、予定以上の成果が得られたと満足している。国道146号(日本ロンチック街道)の長距離を走り、南軽井沢経由で、上信越自動車道の碓氷軽井沢ICから高速道路に乗って帰宅した。

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