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上野村不二洞<2020.9.21>

 群馬県の上野村と言えば、昭和60年(1985)年8月12日、日航機123便が上野村の御巣高の尾根に墜落したことで知られている。当時、上野村は黒岩村長の指揮のもとに村民も協力し、墜落場所を捜索発見し死傷者の運搬にも貢献した。

 それから今年で35年。村内には墜落事故に関連する施設や登山道などが整備されて、遺族が毎年参拝に訪れている。登山道は台風や豪雨に大災害を受けることも多く、その度に修復を強いられる。

 一方で、村民も本来の自活を疎かにできない。山村のため稲作は出来ず、農林畜産が主流である。それと観光面では鍾乳洞が大きな目玉である。それが、川和自然公園内にある不二洞である。関東最大級という振れ込みである。

 僕と妻は前橋市の自宅から前橋南ICに入り、下仁田ICで下りて県道45号経由で上野村へ向かった。国道299号を東進しカーナビに導かれて南の山中に上って行くと不二洞に着く。
 駐車場は十分広く、その上部に売店がある。川の方向を見ると、白い吊橋が架かっている。上野スカイブリッジという。

 売店で鍾乳洞の入場券を購入し、鍾乳洞の入口へ向かう。かなり急な斜面である。


鍾乳洞へのアプローチ

 途中に鍾乳洞の解説板が掲げられている。洞内の案内図と伝説である。要約する。

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 この辺は昔から沢山の獣が住んでいた。200年程前の話である。ある日、村人が猿のむれが騒いでいるので近寄ってみると、そこに穴が開いており、これが鍾乳洞の発見となった。それで庚申の穴(猿の穴)と名付けた。
 それから400年後いくたびか探検を重ね、鍾乳石が仏様の姿に見えることから仏教にちなんだ名称が付けられるようになったという。
 江戸時代、村の吉祥寺開山上人がこの洞窟を修行の場として世に広め、6代の悦厳上人が疫病や嵐を鎮めんとして村人と共に祈願し、災いが二度と起きないように「不二洞」と名付けたという。 

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鍾乳洞の解説板

 更に右手の急斜面を登って行くと鉄の扉があり、それを開けて中に入と、薄暗い120m程のトンネルだ。目が慣れるまで立ち止まり、等間隔の常夜灯に誘導されて登っていく。


薄暗くて急勾配のトンネル

 いよいよ洞内見学の始まりである。総延長は2.2kmだそうだが、見学コースは600mで一周40分だという。
 いきなり螺旋階段の登場である。一気に上まで昇るのは困難で途中で立ち止まりながら漸く昇りきった。


螺旋階段

 昇りきると今度は這いつくばるような狭い所があり、何回も頭をぶつけたりした。
あちこちに仏教にちなんだ名札があり、それを入れて写真を撮っていたが、その内に面倒くさくなってやめてしまった。























 鍾乳洞の中で、今自分がどの位置にいるのか全く分らないのが恐ろしかった。これでもし停電が起こったら真っ暗になり、不安だった。幸い無事出口に近づいて自然光が差し込んだときには思わず助かったという気がした。

 しかし駐車場までが意外に遠く感じられた。急勾配の下りが石ころだらけでもし躓いて転んだら谷底まで墜落しないかとそれはそれで恐かった。

 スカイブリッジが見えたときはホットして、対岸まで往復するゆとりができたのである。スカイブリッジは長さ225m、高さ90m、30分おきにシャボン玉が噴出している。

スカイブリッジ左岸側

 右岸側に渡ったその先は、まほうばの森といい、オートキャンプ場やコテージ・アドベンチャー・レストランがある。
 左岸側に戻る途中のブリッジの上から撮った写真。奥に見える茶色の建物が不二洞の総合案内所(売店)である。


左岸側に戻る途中のブリッジの上から撮った写真

 同様にブリッジの上から撮った国道の写真である。こちらの場所の標高差が如何に大きいかが分る。

 帰りは一般国道299号を通ることにした。途中に「道の駅 上野」があり、丁度昼食の時間だったのでここで済ませた。スケールの大きな施設なのに駐車場は満車状態で、諦めて通過するドライバーもいた。国道は神流(カンナ)町に入ると462号と変り、藤岡IC経由で前橋市に帰宅した。

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