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八ッ場ダム/シリーズ16<2020.07.12>
ーダム建設に翻弄される長野原町ー

 国土交通省は7月3日、八ッ場ダムの部分開放について報道陣に発表があった。7月7日から天端(テンバ)と展望デッキを一般開放するとというのである。新型コロナウイルス感染拡大を受けて閉鎖していた「やんば見放台」・「川原湯展望広場」も最開放する。一方、屋内施設の「やんば資料館」は開館予定日をさらに延長するという。

 それで僕と妻は、梅雨前線停滞の長雨続きで痺れを切らしていたが、漸く12日に見学を決行することができた。この日を狙っていたのか、すでに大勢の見学者が駐車場を埋めており、県外車も多かった。

 駐車場から八ッ場ダム管理支所へのアプローチから、ダム天端(テンバ)を写す。左岸の展望台である「見放台」よりも近い位置から撮ることができた。
 管理支所の裏側に廻ると展望デッキがあり、そこまで茶色の桟橋が架かっている。そこからダムの上流側が展望できるという趣向である。


管理支所裏側


ダム天端

 例えば、すぐ目の前には「やんば見放台」という展望スポットがあり、そこが撮影スポットNo.1であった。それは今も変らないが、それに加えて展望デッキがNo.2の位置に加わったといえよう。


やんば見放台(写真中央丘の上)

 ダムによって出来た湖水の名称は公募の結果、「八ッ場」に決定した。その碑が展望デッキの近くに立っている。
 右の建物は「選択取水設備」である。左側建物は「管理用エレベーター」。

八ッ場あがつま湖

八ッ場あがつま湖 石碑

 ダム放流側を見下ろす。左側は群馬県企業局の八ッ場発電所、現在工事中。右側の白い部分は勢い良く方流水が落下している姿。その先は吾妻峡である。


ダム下流側

 ダム天端の上は、この通り3密に近い。皆さんマスクを付けて、お利口さん。


観光客ラッシュ

 ダム天端から上流の八ッ場あがつま湖を展望する。水面が低いのは洪水対策でそうしているのかもしれない。網場(アバ)の向うに八ッ場大橋が見える。空はどんよりと暗く、まだまだ何日も雨の日が続くのだろう。


八ッ場あがつま湖

 不動大橋の右岸パーキングに移動する。不動の滝は水量が多かった。

不動の滝

 不動大橋を渡って道の駅『八ッ場ふるさと館』に行く。ここでもコロナ3密対策をしているが、人は少なく閑散としている。
 資料室で、国道406号で高崎市へ行く道は不通になっていないか聞くと大丈夫らしい。なぜ、そんなことを聞いたかというと、『丸岩』にいきたかったのである。なぜ丸岩なのかというと、長野原町では『丸岩』が有名なのである。確かに道の駅からこの丸岩が良く見える。ベレー帽をかぶったような奇峰である。


丸岩

 国道406号は急な斜面をくねくねと上って行く。丸岩の登山口に着いて解説板がある。

解説板

 写真では字が読めないので下に示す。
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 丸岩は三方の岩肌をむき出した100m余りの絶壁となり、南は岩峰から続く稜線が起伏しながら、須賀尾峠へと伸びています。標高1,120mで、山頂には16世紀ごろに信州真田勢によって丸岩城が築かれました。
 「長野原郷土史」によれば1570〜1572年の元亀年間には羽尾入道が居住していたとおり、さらに真田氏の歴史を記した「加沢記」では、1589年(天正17年)8月は北衛門、西窪治部、同甚右衛門が首尾していたと記されている。
 南の一方だけが登路になっているために難攻不落な要害の地で、関東からの北条勢の進出を防ぐ為の最前線となっていました。
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 標高1,124m,三方は、100m余りの岩壁であり、南の一方だけが須賀尾峠に通じている。戦国時代に、南方から侵入をねらっていた北条等をくいとめる要害城が築かれていた。登山道は須賀尾峠から約20分。
 しかし、このところの雨続きで、登山道は滑りやすかった。やっとの思いで頂上に着いたけれど、平坦な所は何もない。やせ尾根のままで、その最も高い所が頂上ということになる。

 青葉に囲まれた尾根からは、ダム湖が見られない。尾根の一角に何やら文字が刻まれた自然石が置かれているが、判読はできなかった。


石造物

丸岩山 頂上 

 大した成果も得られず、濡れた登山道で転びながら下山。須賀尾峠を越えて、国道406号で高崎市経由で帰宅した。

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