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八ッ場ダム/シリーズ19<2021.4.3>
ーダム建設に翻弄される長野原町ー

 八ッ場ダム/シリーズ18から随分と日にちが経った。先ず、ダムの天端から下流を覗き込む。写真左側の広場は群馬県企業局の地下水力発電所の屋上である。そこに左岸の吾妻峡遊歩道が連結されて車や人の動きが分る。しかも右岸に渡る赤い橋がある。どうやら吾妻峡の周回が可能になるのではないかと思われる。しかしまだ完成ではないらしい。当初の計画では3月に運転という見通しで有ったが、遅れるのだろうか。


地下水力発電所

 下の写真は、天端が右岸まで伸びて右側の川原湯温泉に接続する車道である。4月1日に開通したばかりだ。ただし今の所、接続部には車止めが設けられていて、一般車両は通れない。


川原湯温泉に接続する車道

 次に向かったのは、長野原町林1464-3の「やんば天明泥流ミュージアム」である。今日、4月3日(土)に開館したばかりだ。午前中に記念式典を開催し、午後1時30分に一般公開を開始した。入館料金は大人¥600円である。


記念式典

 館名の由来を説明する。八ッ場ダムの川底には吾妻川が流れていた。人は河川の両側で生活をしていた。縄文時代からずーっとである。ダム建設に伴い、当然遺跡発掘調査が行なわれた。
 長野原町の場合、特徴的なのは天明3年の浅間焼けと称される浅間山の大爆発の影響があったことである。大量の土石崩れによって、上流から家や生活用品と言わず、人馬までも流されてきたのである。その流れが泥流であり、発掘によって昔を偲ばせる遺品が沢山発見された。それが館名の由来である。

 入館して最初に誘導されるのが天明泥流体感シアター。江戸時代後期の日常生活の様子から、浅間山の大噴火、村が天明泥流に襲われるまでのストーリーを、発掘調査の成果をもとに再現し、迫力ある、大画面で上映される。

 次の部屋は天明泥流展示室。天明3年(1783.8.5)の物語をガイダンスよみがえる人々のくらしうばわれた日常災害の記憶と、四つのコーナーに分かれて見学するようになっている。

 次の部屋はテーマ展示室。原始古代から現代まで、八ッ場地域の歩んできた道のりを、土器や石器などの特徴から多彩に紹介されている。

 最後は別棟で長野原町立大小学校旧校舎である。明治44年(1911)に建てられた県内最古級の木造校舎。八ッ場ダム水没地より一部をモニュメントとして移築保存し、「上毛かるた」をはじめ旧小学校や町ゆかりの郷土資料を展示している。

移築保存された第一小学校

 ところで、水没地から高台に移転した町立第一小学校は、校長先生と15人の児童によって2021年3月26日(金)に閉校記念式が行なわれ、4月からは町立中央小学校に統合されることになった。

 ここを辞して、新しく出来たトンネルを潜り、高崎市に向かうルートを選んだ。このトンネルは八ッ場ダム本体工事に使う石材を運ぶために国が2008年に貫通させた。山の向こうの東吾妻町から約10kmのベルトコンベアで石材を運んだ。それが終了して、今度は町民の生活の為の道路として再活用されるというわけだ。2020年12月18日に県道-大柏木川原湯トンネルとして開通した。長さは3,005m、トンネル内は、NHK第1・第2・TBSラジオが聞ける。


川原湯地区の坑口

 東吾妻町側の坑口付近には、石材の採石場があり、川原湯側へ、このトンネルの中をベルトコンベアで石材を運搬していたのである。


東吾妻町大柏木地区の坑口

 坑口から出て、新たに建設された県道川原畑大戸線に接続し、そのあと国道406号に合流。そのまま下れば高崎市倉渕町に達する。

 トンネルの開通によって、今後、地域住民のみならず、首都圏側にとっても利便性は一気に上がると思われる。

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